☆駐オーストラリア特命全権大使 山上信吾さんインタビュー(前編)☆ 野球は日本の大きな「ソフトパワー」。野球を通して日本はまだまだアピールできる
2020年12月末、駐オーストラリア特命全権大使として着任した山上さん。昨年12月16日、キャンベラ・キャバルリーが本拠地MITボールパークで開催した「ジャパン・ナイト」では、試合前セレモニーでの挨拶と始球式を務めた。元野球少年という山上さんに、野球への思いとスポーツが外交に果たす役割、そして日豪関係について聞いた。
野球のチームワークは一般社会にも通じる
――大使は野球少年でいらしたとお聞きしています。まずは当時の思い出からお話しいただけますか?
小学生のときに、野球を始めました。私はサウスポーということもあって、そのころからずっとピッチャー。プロ野球選手を夢見たときもありましたね。高校では硬式野球部に入部したのですが、一部の野球部にあった、日本独特の閉鎖性が濃いチームでした。進学校の割には強かったとはいえ、「甲子園、甲子園」と叫んで毎日厳しい練習をすることに、私は耐えられなくなってしまったんです。しまいには監督とケンカして、「お前、何がやりたいんだ」と聞かれ、「野球はやりたいけれども、現役で東大にも入りたいです」と答えたら、「馬鹿野郎」と言われました。なんで進学校に来て、「現役で東大に入りたい」と言って「馬鹿野郎」と言われなければならないのか。「これはおかしいな」と思い、野球部を辞めました。本当は野球を続けたかったのに、途中で諦めざるを得なかったから、余計野球への愛着が強くなりました。
――野球をお辞めになっても、野球観戦はなさっていましたか?
野球は見るほうも好きですよ。東京にいたころも、しょっちゅう東京ドームや神宮球場へナイターを見に行っていました。球場に足を踏み入れると、そこには自分が歩めなかった人生がある。カクテル光線を一身に浴びながらプレーしている選手を見るたび、うらやましく思いました。先日、横浜DeNAの宮國(椋丞)さん、入江(大生)さんを大使公邸に招いてランチをご一緒したときも、そんなお話をしました。あの大舞台で野球を思う存分できるのは、われわれ元野球少年の夢ですよね。
――歩めなかった道があり、しかし一方には大使が歩んでこられた道がある。スポーツをしてきた経験は、大使の人生にどう役立っていますか?
スポーツでは勝つことの喜び、そして勝利への執着心を学びました。また野球を途中で諦めた以上、そこで自分が選んだ別の道では頑張らなければいけない、という反発心といいますか、モチベーションにもつながりました。それからもう一つ、野球でもサッカーでも、団体競技を経験した人は、チームワークの重要性が身に染みていますよね。自分がどれだけいいピッチングをしても、打線が援護してくれなければ勝てないし、打線が奮起してくれても、自分が打たれたら負けてしまう。持ちつ持たれつの関係の中で、チームメイトとの和の大切さや、持ち場持ち場で力を発揮することの重要性を学ぶ。これは一般社会、組織論にも通じます。
――確かにプロ野球OBも、組織論の本を書く方が多いですね。
廣岡達朗さん(元ヤクルトほか監督)、今は亡き野村克也さん(元南海ほか監督)といった皆さんがおっしゃっていたことは組織論、人間論として非常に勉強になりますよね。
スポーツ選手のもたらす効果は大きい
――とはいえ日本ではまだまだ、スポーツは遊びであって「文化」のカテゴリーには入らないイメージがあります。
外交の世界に身を置いて、ひしひしと感じるのは「スポーツが強い」、それ自体が国力であるということです。「ハードパワー(他国を経済的、軍事的に支配する)」と「ソフトパワー(文化的に魅了する)」という言葉がありますが、スポーツはソフトパワーの大きな要素です。例えばサッカーなら、ブラジルのソフトパワーの相当部分はブラジルサッカーから来ています。日本の場合、ソフトパワーの大きな部分は野球から来ていると思いますね。日本は野球大国であり、これだけ世界に誇れる選手を次々輩出している。それは、日本のソフトパワーの大きな源泉ですよ。
――外交面でも野球の存在は、日本にとって非常に大きな存在なんですね。
11月、札幌で「侍ジャパンシリーズ」と銘打って、侍ジャパンとチーム・オーストラリアが試合をしましたよね。その際シドニー総領事と私の共催で、チーム・オーストラリアの壮行会をシドニーの総領事公邸で開催したんです。そこで、オーストラリアの選手が何人も、「今は日本の野球が世界NO.1だ」と言ってくれた。これはうれしかったですね。日本野球のクオリティーの高さを、認めてくれたんです。先ほど申し上げたソフトパワーの最たるもので、野球によって日本が、日本人が、一目も二目も置かれるわけです。
――大使を前にした社交辞令ではないとお分かりになった?
本音で口にしたと思いますね。そこには、メジャーリーグに続々日本人選手が挑戦し、結果を出している背景があるでしょう。古くは村上雅則さんに始まり、野茂英雄さんが先鞭をつけ、イチローさん、松井秀喜さん、松坂大輔さん、上原浩治さん、ダルビッシュ有さん、大谷翔平さん……と多くの選手が続いた。今の大谷さんのすごさは、日本人のイメージを変えたことにあると思います。イチローさんはある意味、アメリカ人が描くステレオタイプな日本人のイメージにピッタリ重なるところがあって、敏捷ですばしこく、野球がうまい。「でも、パワーがね」とアメリカ人は言うわけです。ところが大谷さんのホームランは、アメリカ人の度肝をも抜くホームラン。これが大事なんですよ。「あ、日本人もここまでできるんだ。野球がうまいだけじゃなく、賢いだけじゃなく、パワーもあるじゃないか」と。革命的なことだったと思います。
そんな日本人選手の存在は、野球をやっていた私にとっては非常にうれしく、また仕事をするうえでも励みとなっています。外交の世界も競争で、私がオーストラリア大使を務めるうえでの一番大きなモチベーションは、「他国の大使には絶対に負けない」という気持ちです。特に、アジアの近隣諸国に大使には負けるものか、と。英語のインタビューにしても、スピーチにしても、英語をネイティブにするイギリスやアメリカの大使をも凌駕するぞという気持ちで、この仕事を務めています。そこは大いに、大谷さんに後押しされていると思いますね。
――大使の世界にも、やはり競争が存在するのですね。
最後は競い合い、切磋琢磨ですから。その中でいかに優れているかで、一目も二目も置かれます。相手を弱いと思って同情する、そんな友情は長続きしません。やはり、「コイツはすごいな」と認めてもらうことが大切だと思います。
――大使も日本という国を代表する存在であることを、改めて感じました。
国際社会での日本人のイメージは、組織としては強いけれども1対1の戦いには弱い。人はいいんだけれども、優しくて弱いというイメージが厳然としてあります。そこで野茂さん、イチローさん、大谷さんのような選手が現れ、トルネード投法、レーザービーム、160㌔の速球にそれぞれ代表されるようなプレーを通して強い印象を残すと、ステレオタイプなイメージが塗り替わる。スポーツ選手がもたらすパワーや効果は、非常に大きなものだと思います。
われわれ外交官の場合は人前で話す、スピーチをする、テレビのインタビューに答える、人間関係を作っていくといった場で違いを出すわけですが、そこでも野球を知っている、野球について語れることが、一つの大きな道具であることは間違いありません。もちろん野球の盛んな国は、サッカーに比べると少ないですよ。だから数は限られていますけれども、野球がマイナースポーツであるオーストラリアでもこれだけの野球ファンがいますし、ましてやアメリカ、韓国、台湾であれば野球ファンはごまんといるわけですからね。野球を通して日本をアピールすることは、まだまだ可能だと思います。