濱矢廣大投手(キャンベラ)インタビュー☆「自分を欲してくれる球団があるうちは、ABLで野球を続けたい」

photo:Baseball Australia

2023/24シーズンのキャンベラでは、総勢5人の日本人選手がプレーしました。5人の中の最年長が、今回登場の濱矢廣大投手。残る4人の良きお手本として、またお兄さんのように慕われながら、共に行動する姿が印象的でした。横浜DeNA退団後、海外を拠点に野球を続ける濱矢投手に、その思いを聞きました。

 

メキシコから始まった海外野球との縁

――濱矢投手が初めて海外野球を経験したのは、横浜DeNA在籍時の2019年、メキシコのウインターリーグ(ベナドス・デ・マサラトン)に派遣されたときでしょうか?

試合で投げたのは、そのときが初めてでした。メキシコのウインターリーグはレベルが高いとかねてから聞いていましたので、そこで自分の力を試してみたくて、参加を希望しました。

――実際メキシコに行ってみて、どんな学びが得られましたか?

まず環境面で、日本がいかに恵まれているかを知ることができたのが一つ。あとは、1年間通して――オフシーズンも休まず投げ、そのままの流れで次のシーズンに入りたいと思いました。体も元気でなんの問題もなかったので、少しでも多く経験を積んで、1球でも多く投げて、そのまま(日本の)シーズンにつなげることが一番の目的でした。

――日本に帰ってきて、その成果を感じられた面はありましたか?

結果的に(20年は)一軍で投げることができませんでしたから、プレー面での成果は得られなかったと思っています。ただ、そのときの経験がきっかけで、21年にもまたメキシコ(ベラクルス・イーグルス)でプレーすることができましたし、さまざまな国や野球、それを取り巻く人たちとの繋がりが生まれました。その結果、NPBを戦力外になって4年経った今もこうして野球を続けることができているので、行ってよかったと思っています。

――20年に横浜DeNAから戦力外通告を受けたあと、独立リーグや二度目のメキシコ、イタリアで野球を続けました。そこからオーストラリアに目を向けたきっかけは?

自分を必要としてくれるチームがあればどこにでも行きたいと思い、チームを探していました。オランダ、チェコ、ドイツなどヨーロッパ各国を中心に探していく中で、ご縁があってオーストラリア・パースのクラブチーム(モーリー・イーグルス・ベースボールクラブ)と巡り合いました。給料の出ないクラブチームでしたが、僕がワーキングホリデー・ビザを使えば、オーストラリアで野球をしながら就労し、生活費を稼ぐことも可能です。幸いオーストラリアは時給が高かったので、野球のできる環境を整えることもできました。

――クラブチームで野球をしながら、ABL入りを目指すつもりだったのでしょうか。

初めはそこまで考えていなかったんです。パースに数カ月いて、(クラブチームの)シーズンが終わったら、また自分を必要としてくれるチームを探そうと思っていました。ところがパースの住み心地が思いのほかよくて、次第に「ここに腰を落ち着けて、家族と暮らしたいな」と考え始めました。パースでは仕事とクラブチームでの野球だけでなく、日本人の子どもたちを中心に野球教室も開いていたんですよ。日本で元NPBの選手がよく開いているような野球教室よりもさらに少人数ですが、幸い僕がまだ現役なので、実際僕が練習している様子なども見せながら指導していました。

――そこへキャンベラからオファーが届いた?

そうです。これがもしパースだったら、他のオーストラリア人選手のようにウイーク・デーは仕事をしながら、週末ABLでプレーしていたところですが……キャンベラでは仕事が見つからなかったので、野球1本で行くことになりました。

――横浜DeNAから徳山壮磨投手、東妻純平選手、加えて迫勇飛投手、内藤航世投手と、今季のキャンベラは日本人選手がたくさんいて賑やかでしたね。中でも濱矢投手は最年長。何か意識していたことはありましたか?

いやあ、僕は皆と年齢も結構離れていましたし、勇飛はキャンベラも2年目で(ABLにも)かなり慣れていたので、そこはほとんど勇飛にお任せ状態でした。

 

海外への挑戦が自分の世界を広げる

キャンベラ・エインズリー小学校訪問での濱矢投手。子どもたちの指導に長けた様子が随所に見られました

――ABLでプレーして、野球への思いはまた新たになりましたか?

僕にとっては、久々の“プロ野球”だったんですよ。よりレベルの高い場所で戦えて、とても楽しかったですね。僕自身、しばらくプロ野球で投げていなかったブランクがあったため、とにかく速球のスピードを上げなければいけないと改めて思いました。
ABLのバッターを抑えるには、やはりストレートのスピードと質が必要。「質」というのは、腕の振りに比べて伸びてくるストレート、ですね。もちろん変化球も必要ですが、変化球を生かすためにはまず、質の高いストレートを投げなければいけません。そこは練習から意識して投げていました。

――対戦して楽しかったとか、ここは強かったなとか、印象に残っているチームはありますか?

昨季、最後の第10ラウンドを戦ったときのメルボルンは、本当に強かったですね。最終登板となった第4戦(1月21日)で、めちゃくちゃ打たれました(苦笑)。その前の対戦(第2ラウンド=23年11月23日)では6回1失点で抑えていたんですよ。僕自身、状態も良かったし、最後の試合だから勝ちたかったんですが……。僕が初球からどんどんストライクを取っていこうとしたところを狙われた。向こうも積極的に早いカウントから打ってきましたね。

――さて今後の野球人生については、どう考えていますか?

現役選手として投げられる体があって、自分を欲してくれる球団がABLにあるうちは、ここ(オーストラリア)で野球を続けたいと思っています。同時に子どもたちに野球を教えながら、昨年立ち上げた『MORE DREAM JAPAN』(詳細は後述)の仕事も広げていきたいですね。ヨーロッパ、オーストラリアをはじめ、海外には「日本人選手が欲しい」というチームが数多くあるんですよ。自分だけでなく、日本人選手と海外のチームをどんどんつないでいきたいと思っています。

――濱矢投手自身、過去にも「海外で暮らしてみたいな」と憧れた時期があったのですか?

楽天時代、当時(MLB)マリナーズでプレーしていた岩隈(久志)さんのロサンゼルスでの自主トレに参加させてもらったんです。そのとき、ロサンゼルスの雰囲気がとてもよくて、好きになりました。自由な感じがしたのかな。そのときは漠然とした憧れでしたが、メキシコで暮らすようにしながら野球に打ち込んだあたりから、海外熱が上がってきたと思います。

――そして実際、何カ国も渡り歩いて野球を続けている。『MORE DREAM JAPAN』を通して日本の野球選手たちにどんなことを伝えたいですか?

野球をできる場所は、日本だけじゃない。「こんな選択肢もあるよ」ということを伝えたいですね。野球を続けたい気持ちがあるのに、日本で契約してくれるチームがないからといって引退してしまう選手も多いと思うんです。そこでもう少し視野を広げて、海外に目を向けてみれば、さまざまな国に野球のチームがあって、選手を募集しています。もちろんそのチームやリーグのレベルに合った実力が必要ですが、そこさえクリアできる選手には、ぜひチャレンジしてほしいと思います。きっと、自分自身の世界も広がりますよ。

 

MORE DREAM JAPAN
インスタグラム/more_dream_japan
X/@MoreDreamJapan
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Profile
はまや・こうだい●1993年2月27日生まれ。奈良県出身。185cm78kg。左投左打。和歌山県立日高高中津分校-Honda鈴鹿-東北楽天-横浜DeNA-BC茨城ーベラクルス-ネットゥーノ-モーリー・イーグルス-UWAマグパイズ-ABLキャンベラ。ABL23/24シーズンは10試合(40イニング)に先発登板、2勝5敗、防御率7.65。

 

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