覚悟/菊江龍
今季のABL参加選手の中で、(日本人から見た)外国人選手たちとのコミュニケーション能力は、1、2を争ったのではないか。アデレードのグラウンドで見かけたのは一人で黙々と走っている姿か、チームメイトと陽気に談笑している姿のいずれかだった。
日本では、Honda熊本の一社員。南半球の彼方でプロ野球選手としてプレーし、感じたもの、そして彼の将来にも関わる学びとは?
11月15日、シーズン開幕ゲームとなったブリスベン戦で、ABL初マウンドを踏んだ。
3点のビハインドで迎えた、6回裏二死満塁の大ピンチ。「Tohru Kikue」の名がコールされ、マウンドに向かう。そのとき、菊江は笑顔を見せた。バッターをレフトフライに斬って取り、マウンドを降りるときも、そして次の回、再びマウンドに上がったときも。
初登板の2.1イニングを被安打1の無失点に抑えたのもさることながら、この満面の笑顔がABLでの菊江の第一印象だった。
「僕にとっては初めてのオーストラリア。“楽しもう”と思ってきましたし、実際楽しかった。それで、笑顔が出ちゃうんです」
ABLに来て最初に感じたのは、「日本の野球は真面目だな」ということだった。言葉にするなら、『野球道』を追求しているイメージだろうか。練習一つとっても、ある程度の時間、チーム全員でまとまって練習する。しかしアデレードではチームストレッチとフリーバッティングの時間以外は、練習内容も各自に任された。
「アップの時間が20分しかないのに本番でしっかり体を動かしているので、初めは“この人たち、すごいな”と思ったんです。でもいろいろ話を聞いていくうち、“朝起きて、ジムに行ってきた”とか、各自個別にトレーニングしてきていることが分かりました。これが本当の『自主性』なんだな、と思いましたね」
菊江ら社会人野球組にとって、会社がABLに彼らを送り出す意味は、「野球の技術と語学力のアップ、そしてABLやアデレードとの交流を深める」ことである。じゃあ他のチームメイトたちはどうなんだろう、と菊江は思った。地元アデレードやオーストラリア国内出身選手のほか、アメリカ、中南米、ドイツなどから何人もの選手が参加している。
「どうして、わざわざ遠くからここまで来て、野球をしているんだろう」――次々聞いていくと、「これを機会にアメリカのマイナーに行って、メジャーを目指したい」という選手から、単に「野球が好きだから」という選手まで、実に理由は様々だった。ただ、誰もが野球愛と向上心に満ち溢れていた。
「チームへの恩返し」がプロ入りにつながる
では、自分はどうか。
振り返れば生まれ育った秋田を離れ、進学した高校(静岡・下田南伊豆分校)は、部員の半分が高校で野球を始めたような弱小チーム。最高成績が県大会2回戦で、甲子園など夢のまた夢だった。
転機は朝日大4年時だった。東海地区野球連盟選抜チームの一員として、中日二軍、福岡ソフトバンク三軍と戦った。そのとき「プロはこんな球場、こんな環境で試合ができるのか」と、プロへの憧れが募った。しかし、すでにHonda熊本への就職が内定していたため、プロ志望届は提出しなかった。
野球をやっている以上、その最高峰であるプロ野球には進みたい。
それでも、こうして縁あって熊本へに来たからには、まずは結果で会社に恩返しをしなければならないと思う。
「僕ら、大の大人が仕事として会社に野球をさせてもらっているんです。しかも、直接会社に利益を生まない野球で、給料をいただいて。それだけでも幸せなのに、試合になると職場で一緒に仕事をしている人たちが応援に来てくれる。その人たちの顔をグラウンドで見ると、言葉では表せないくらい嬉しいし、なんとも言えない感覚なんですよ」
だが実のところ、熊本での4年間で菊江自身、納得のいく成績を出すことはできなかった。一方2018年のドラフトで、同僚の荒西祐太投手がオリックスに3位指名され、プロ入りを決めた。社歴は違うが、同じ26歳。荒西投手はHonda熊本を背負って投げ、それが評価されてプロ入りのチャンスをつかんだ。菊江の願う「チームへの恩返し」ができれば、自ずとプロも近づいてくる。ABLでの約2カ月はそのための、またとない学びの場だった。
「海外から来た選手は、いわば“助っ人外国人”。打たれようが抑えようが、次の日も投げさせる。打たれてショックを受け、それを次の試合に引きずることのないよう、メンタル面を強くしてこい」
Honda熊本・岡野武志監督にはそう言われて、送り出された。
いい選手は腹を据えて打者と勝負
「打者と勝負し続けること」が、ABLでの菊江のテーマだった。「俺のボールを打ってみろ」という気持ちで、グイグイ投げ込む。与四球を恐れず、「(四球で)ランナーを出しちゃったらゴメンナサイ」程度に考える。
日本人の菊江から見れば、打者はすべて「外国人」。普段戦っている相手とは、タイプが違う。
「バットの軌道が、フライボールを打つような感じ。だから高めの球を使うと、外野フライかホームランになるんです。日本ではあまり高めを投げてこなかったけれども、ここでは高めが使える。そういった違いが面白いな、楽しいなと思いました」
次第に“打者と勝負する感覚”が、菊江の中に蘇ってきた。それは打者との駆け引きではなく、もっと心の奥底から滲み出てくるもの。
「これまでは悪くなると、打者との駆け引きというより“投げ方がどうこう”とか、自分自身と勝負していたんです。打者を抑えなければいけないのに、肝心の打者のほうを向いていなかった。“覚悟”ができていなかったんですね」
マウンドで大切なのは、何より自分が打者と勝負する“覚悟”を決められるかどうか。「いいフォームで投げよう」、「いい球を投げよう」――そんなことを投げながら考えているようでは、まだまだ覚悟が足りないのだ。
「いいピッチャー、いい選手は自分が大事にしているポイントが明確で、ブレない。それは試合に対する準備であり、打者に対する武器もそう。覚悟を決めて、腹を据えて打者に向かい、勝負していますよね」
NPBの一軍で活躍する選手たちのピッチングを見て、実際に話をし、それを再確認した。そして菊江自身、「打者と勝負する」ピッチングはABLで最後まで続けることができた。
今季こそ、このピッチングでHonda熊本を勝利に導く。
その“覚悟”はできている。