楽しむということ/高木勇人

黙々と練習に打ち込んでいた顔が、仲間と声を掛け合うや、明るくパッと輝く。オフィシャルブログ『楽しむは僕の生きがい』のタイトル通り、約1カ月のABL生活を楽しく、充実して過ごした。「楽しむ」という言葉と笑顔の中に込められた、埼玉西武・高木勇の思いとは? その一片を聞いた。

HAYATO TAKAGI ( MELBOURNE ACES ) – ABL RD 5 – SYDNEY BLUE SOX V MELBOURNE ACES – GAME 2. Action from the Australian Baseball League 2018 / 2019 Round 5, Game 2 clash between the Sydney Blue Sox v Melbourne Aces at Blue Sox Stadium, Blacktown International Sportspark, 15 December 2018. Photo: Joe Vella SMP Images / ABL Media.

約1カ月半のABL“武者修行”。メルボルン・エイシズで6試合に先発し、3勝1敗、防御率3.34の成績を収めた。3勝は(高木勇のいた)第6ラウンドまで、2017年WBC豪州代表ドゥシャン・ルジックと並ぶチームの勝ち頭。先発ローテーションの一角を十二分に務めたといっていい。

しかし高木勇ほど、“武者修行”という、日本のマスコミが付けた海外リーグ参加選手の代名詞を感じさせなかった選手もいないだろう。メルボルン・ボールパークのグラウンドに入るやいなや、チームの中にスッと溶け込んでいった。登板のない日には、試合に出場している選手をベンチから元気に送り出し、先頭に立って出迎えた。

「最初、勢いだけでやっているのかと思ったら、ずっとそうなんです。あれには感心しました」とは、同行の清川栄治ファーム巡回コーチ(18年12月までは育成担当)。

「僕、ここ(ABL)では、“楽しく”がテーマなんです」と、高木勇は言う。

巨人時代の2016年、岡本和真らと共に、プエルトリコのウインターリーグに派遣された。そこで、「人生が変わるほど、自分の中で大きな体験」をした。

「パワーが違うんです。雨が多く、湿気交じりでボールは全く飛ばないんですよ。日本みたいに“カーンッ!”という音を立てて飛ぶこともないのに、力で(スタンドへ)持っていってしまう。まさに、力と力の勝負。小学生くらいのころに思い描いていた“野球”が、そこにあったんです」

日本に帰れば、日本の野球がある。プロ野球選手として真摯に、プライドを持ってそれに取り組んできた。だが一方で、あの、自分の思い描いてきた野球への魅力も断ち切りがたかった。

ドミニカの話を聞いたときには、ドミニカに行ってみたいと思った。様々な国に、日本とは違った野球があるのだ。話を聞くにつけ、あちこちの国に興味が湧き、いろいろな環境で野球をやってみたくなった。

「もっともっと、違う野球を知りたい」
自分の中の“探求心”が、とてつもなく掻き立てられるのを感じた。

そんな思いをコーチに相談したところ、「オーストラリアのウインターリーグに行ってみてはどうか」とABL行きを勧められた。公式戦終了後、10月末までフェニックスリーグに参加し、11月中旬、渡豪。クリスマス前までの約1カ月超、ABLのマウンドに立った。

「純粋に、少しでも長く野球がしたかった。それに12月末まで野球をしていれば、スタートダッシュも早く切れると思って、オーストラリア行きを希望しました」

 

“チームメイトのことを思って”やる野球

 

ABLの一員としての、生活が始まった。朝、ジムでトレーニングをし、グラウンドでチームメイトと体を動かす。アパートメントホテルでは、共に渡豪した齊藤大将投手らと自炊生活。週末行われる同一カード4試合のうち、3戦目の先発を担った。

「ABL、めちゃめちゃ好きです。力勝負ができるのも一つですが、オーストラリア人、アメリカ人……いろんな国の選手がこの期間だけ集まって、いきなりチームメイトになったかと思えば、またいきなりいなくなる。そんな、日本にいたら考えられないような環境で、チームメイトのことを思ってやる野球が、何より好き」

オーストラリアでは、自分が“外国人選手”。だがチームメイトたちは、言葉や文化の違いによるカベを感じさせないよう、チームの一員として伸び伸び野球ができるよう、心を開いて接してくれた。だから高木勇も自然と、その輪に入り、共に野球を楽しむことができた。

「今(ABLで)は、“自分の野球”を出せていると思う」と高木勇は言った。

野球が好きで、野球を楽しみたい。だけど負けるのは大嫌い。いつも「絶対に負けない」と思って投げている。

力と力の勝負にも、挑んでみた。自分のストレートがどこまで通用するか、いわゆる“真っ向勝負”。ホームランを打たれても、どんどんバッターに向かって投げ込むことができた。それはまるで、少年時代の思い出のよう。野球の楽しさを、自分が失いたくないものを、改めて見つけた気持ちになった。

技術的なところで言えば、NPBにおける外国人選手との対戦の仕方には学ぶところがあった。課題のシュートにも磨きがかかった。

だがそれ以上に、『自分』という野球選手が“なにでできている”のか。『自分』を支える中身を再確認できた。だからこそ――「この“自分の野球”で、日本に帰っても勝負していきたい。そして、『自分』を知ってもらいたい」と思うのだ。

「自分の野球を貫いていったら、それがダメだったとしても切り替えられる。毎日後悔しないよう、生きていきたいんです」

「野球って、死ぬまでできると思うんですよ」と、高木勇は言う。

ずっとずっと、いくつになっても野球を楽しむ。それが日本なのか、「このまま住んでもいいかなって思うくらい」好きになったオーストラリアなのか、はたまたどこか別の国なのか。それはまだ高木勇自身にもわからないのだけれど。

「野球をやっているから、俺はずっとハッピーなんだよ」と言えるジジイになりたい、と遠い、遠い将来にまで今から想いを馳せるのだ。

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