ジョージ・カリル選手(メルボルン)インタビュー☆「日本にもっと行ってみたいし、日本で野球をしてみたい」

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メルボルン・エイシズでセカンドを守り、攻守においてチームを支えるジョージ・カリル選手。日本人のお母さんを持ち、日本語もペラペラなことから、メルボルンに派遣される日本人選手たちの頼もしい味方でもあります。このインタビューも、英語と日本語を交えて対応してくれました!

 

クリケット、フットボールから野球1本に

――野球を始めたのは、いつですか?

12歳くらいのときでした。3つ上の兄と同じチームに入って、野球を始めました。

――オーストラリアでは野球はマイナースポーツですが、日本人のお母さんの影響などあったのでしょうか。

それは間違いないと思います。野球は日本のスポーツ文化のなかで最も大きな部分を占めているから、ずっと興味は持っていましたね。野球を始める前に、クリケットをしていたんです。クリケットと野球は同じような大きさのボールを使うし、投げる、打つといったスタイルにも共通点があります。2つのスポーツをプレーしてきたことで、今のような選手になれたのだと思います。

――クリケットから野球に転向するのは難しくなかったですか?

クリケットのボールの投げ方は明らかに野球とは違いますが、打撃のテクニックも全く違いましたね。だから野球を始めたばかりのころは、野球のボールを打つのにクリケットのスイングばかりしていました。クリケットを完全にやめてから、野球での打撃に進歩が見られるようになったと思います。

――守備はどうですか?

守備はよく似ていますね。クリケットはグラブを使わずにボールを捕らなければならないので、そこはグラブを付けている分、野球のほうが簡単に感じました。

――カリル選手はアメリカの大学で野球をしていたと聞いています。きっかけは?

実は11年生まで、フットボールもしていたんです。子どものころ、AFL(オーストラリアン・フットボール・リーグ)でフットボール選手になりたい夢を持っていましたから。でも年月が経つにつれ、アメリカに行って野球をし、メジャーリーガーになりたいと思うようになりました。それで12年生のときフットボールをやめて野球1本に絞り、真剣に取り組みました。そして、アメリカの大学に進学しました。

――アメリカでは、オーストラリアとの野球文化の違いは感じましたか?

オーストラリアには高校野球がなく、アメリカほど真剣に野球をしていないし、野球自体が注目されていません。だからオーストラリアからアメリカへ行く多くの選手は、育成の面で何歩も遅れをとっています。僕も、アメリカでの最初の数カ月は、少しショックを受けました。みんな体も大きく、野球において自分より成熟していると感じたんです。野球1本で将来を考えたときに必要なことを理解するのに、数年かかりました。

――アメリカの球界で勝ち抜くためには、何が必要だと思いましたか?

アメリカでは毎日試合がありますから、粘り強く不屈の精神と気持ちの切り替えが必要だと思います。一日一日気持ちをアップダウンさせるのでなく、毎日が新しい一日だと思うこと、ですね。あとは、人として自立すること。日々、自分の体調を管理することを学び、心身両面で毎日の準備をするために何が必要かを自分で考えていくことです。

 

メルボルンに来た日本人選手は楽しい人ばかり

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――卒業後はアメリカの独立リーグでプレーしているのですね。

アメリカの大学を卒業したとき、メジャーリーグのチームからドラフトされなかったので、アメリカの独立リーグで3年プレーしています。2年目のオフからオーストラリアへ戻ってくるようになって、ABLでは今季、2シーズン目を迎えています。

――今は野球以外の別の仕事もしているのですか?

しています。でもオーストラリアに戻ってきても野球が最優先で、練習にはほぼ毎日来ています。月曜日は試合も練習も休みだけど、トレーニングは毎日していますね。休みの日は、芝刈りや庭木の手入れなど、庭仕事を請け負うこともあります。僕のことを気に入ってくれているお客さんがいて、助かっているんですよ。野球とトレーニングを優先しながら、時間の空いたときに仕事をさせてもらえるので。

――メルボルンに来た日本人選手の印象は?

去年、福岡ソフトバンクから来た(風間)球打も(三浦)瑞樹(共に投手)も、とても楽しい人たちでしたね。彼らから日本のプロ野球についてもいろいろ聞きました。オーストラリアの野球とはかなり違って、とても厳しい世界。だから、彼らもここでは少しリラックスして野球を楽しめたのではないかと思います。今年は(オリックスからの)投手2人と野手2人だったので、野手の2人とは毎日一緒にいられて、僕も楽しかったですよ。おかげで自分の日本語の練習にもなったし、リッキー(オリックス・徳永力也通訳の愛称)がいないときは、僕が彼らを助けてあげることもできたんじゃないかと思います。彼らがエイシズに来てくれて本当に良かったと思うし、同じチームの一員としてプレーできたのは素晴らしいことでした。

――日本という国そのものについてはどう思っていますか?

僕のもう一つの母国でもあるし、日本が大好きです。日本は本当に、美しい国。5回ほど日本に行ったことがありますが、できればもっとたくさん日本で過ごしてみたいし、もし日本で野球をする機会があれば、ぜひそうしたいと思っています。18歳以下のオーストラリア代表に選ばれて、大阪で行われた大会に参加したときは、日本にいる(母方の)祖母やおじ、おばが静岡から新幹線に乗って、僕のプレーを見に来てくれたんですよ。そのときとても喜んでくれたので、また僕のプレーを見せる機会があれば最高だなと思います。

――ABLの試合はインターネット中継で見てくれている?

それはどうだろう……(笑)。ネットのことをどこまで分かっているか知らないので、日本からもABLが見られることは話してないんですよ。今度、聞いてみなくちゃ。でも先週、祖母と電話で話をしたとき、僕が今ABLでプレーしていることをとても誇りに思っていてくれているようで、それは嬉しかったですね。

――今の夢は海外、やはりメジャーリーグでプレーすることですか?

メジャーリーグでプレーする夢は、間違いなくまだあります。今、僕は26歳なので、自分の最高のパフォーマンスを出せることを目指して、体も技術も鍛えていきたい。まだまだ自分は強くなれると思っています。メジャーリーグへの道はまだ見えるところにあるわけだし、信じて進みます。一方で、日本をはじめとして中南米でも、世界中のどこの国でも野球をする機会があれば、挑戦してみたいです。そしてできる限り長く、野球を続けていけたらいいなと思っています。

Profile
George Kenta Callil●1997年生まれ、オーストラリア・メルボルン出身。内野手。193cm91kg。右投右打。米国サウス・カロライナ大学卒業後、同国独立リーグのスーシティ・エクスプローラーズで1年、エヴァンズビルで2年プレー。日本人選手たちからは、ミドルネームの「ケンタ」の名前で呼ばれている。

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