グレッグ・バード選手(メルボルン)インタビュー「今度は僕が若手選手たちを助けてやる番だ」

photo: ABL Media

メルボルンのチームスタッフが「人格者」と評する、元ニューヨーク・ヤンキースのグレッグ・バード選手。練習日に自ら居残りでバッティング・ピッチャーを務め、オリックスの福永奨、杉澤龍両選手をはじめとする若手選手の練習に付き合う様子がよく見られました。その理由も、インタビューの中で分かりました。

 

とにかく野球がしたかった

――今回、メルボルン・エイシズ入りを決めたのはなぜですか?

また野球をプレーするいい機会だと思いました。野球という仕事ができ、練習もでき、そのなかで自分の状態を確認することもできる。やはり野球がしたかった、ということに尽きますね。そのためのいい機会であり、同時に楽しい経験になると思いました。いろいろな国の野球を見るのは、素晴らしいこと。そういった意味でもABL、エイシズはすべての条件を満たしていたと思います。

――それまでABLの存在は知っていましたか?

何年も前から話は聞いていました。ABLでプレーした多くの選手から、「(ここが)気に入った」と聞きましたしね。実際、僕も本当にここが好きだし、自己成長のためにも、野球をするのにもいい場所だと言いたいですね。

――ここまでABLでプレーしての感想は?

いろいろな面で、自分がフィットできたと感じています。何より、チームメイトが素晴らしいんですよ。日本の選手たちとも知り合えたし、一緒にいて楽しい。何もかも、うまくいっていると思います。

――オーストラリアの文化についてはどう感じていますか?(母国の)アメリカと何か違いはありますか?

多くの点でアメリカと似ているとは思います。ただ大きくはないけれども、確かに違いはありますね。食べるものも明らかに違うし、車を運転するときのハンドルも車線もアメリカとは反対だし。それからオーストラリア人は一般的に、会話が多いですね。普段もそうだし、グラウンドでもそう。お互いによく話をします。でもたくさん話し、コミュニケーションをとるのは、非常にいい文化だと思いますよ。

――ABLにはいま、どんな印象を持っていますか?

とにかく楽しいです。ここでは木曜日から日曜日に日程が組まれていて、カリブ海のウインターリーグのように毎日試合に追われるタイトなスケジュールではない。だから月曜、火曜、水曜は練習やトレーニングをはじめ、さまざまなことに取り組む時間として使えます。それが各自コンディションを上げるいい時間になるし、試合が少ない分、フィジカル面で自分を追い込まずに済みます。それからABLは勝つことを一番の目的に、試合をしていますね。アメリカのマイナーリーグは必ずしも勝つことが目的ではなく、成長することが目的ですが。

――野球のレベルとしては、アメリカと比べてどうでしょう。

比べるのは難しいですね。僕は今年、ケベック(カナダ)の独立リーグで6週間ほどプレーしてから、ここに来たんだけれども……。国も違うし、環境も違う。若い選手もいれば、ベテラン選手もいるリーグなので、レベルも様々だと思いますよ。

 

ヤンキースで学んだこと

――ニューヨーク・ヤンキース時代の一番の思い出や、そこで学んだことは何ですか?

何が起こっても頑張り続けること、立ち上がり続けなければならないということを学びました。何度転んでも、そのたびに立ち上がる。うまく伝わっているかな。決してものすごくシリアスな意味ではないんですよ。僕らが日々生きていく中、どうしても時々何かに捕らわれたり、忙殺されたりすることがあるんじゃないですか。でも、そこで思い詰めたり、自分に厳しくしすぎたりしないこと。一日一日が自分にとっての贈り物だと思って、笑顔を忘れず、その一日を楽しんで、またやり直せばいいということをヤンキース時代に僕は学びました。

ヤンキースで一緒にプレーしたチームメイトとの素晴らしい思い出も、たくさんあります。中でも僕が最も感謝しているのは、若かった僕を助けてくれた先輩たちの存在ですね。だから今、それを後輩たちに返すことが僕の役目だと思っています。今度は僕が、若い選手たちがメジャー・リーグに行けるよう助けてやる番なんだ、と。

――オーストラリアでの経験は、あなたの人生に何をもたらすと思いますか?

新しい人と出会って新しいものを見て、常に学ぶことがあるから、野球がどうであれ、どんなことが人生に降りかかってきても大丈夫になると思う。とにかく僕は野球をプレーすることが好きだし、これからも機会があれば、どこでもプレーしたい。もちろん日本もいい国だと聞いているので、オファーがあれば喜んで受けたいですね。

Gregory Paul Bird●1992年生まれ、アメリカ・テネシー州出身。右投左打。内野手(一塁手)。190cm99kg。グランドビュー高校から2011年、MLBドラフト5巡目でヤンキースに入団。捕手から一塁手に転向する。15年8月、メジャーに昇格し、46試合に出場。157 打席で打率.261、11本塁打、31打点を放つ。翌16年の右肩手術を経て17年には48 試合に出場、9本塁打、28打点。ポストシーズンでも3本塁打6打点と活躍した。以降はマイナーリーグを渡り歩き、23年10月18日、メルボルンと契約を結んだ。

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