ジョン・ディーブル監督(メルボルン)インタビュー「育成しながら勝つ。それがABL監督の醍醐味」
アテネ五輪でオーストラリア代表が日本代表を破って、銀メダルを獲得したときの監督であり、メルボルン・エイシズでは2019/20シーズンにチームをクラクトン・シールド(ABL優勝)へと導いた名将。そのディーブル監督に、ABLの監督業について、そして今季派遣されたオリックスの選手たちについて、聞いた。
ABLからNPB球団と契約できる選手も育てたい
――ABLの監督の仕事とはなんですか? チームの勝利のほか、育成の面も考えておいでなのでしょうか。
両方ですね。もちろん私たちは、常に勝利を目指しています。しかし同時に、私たちはオーストラリア人選手の育成も考えています。彼らがいずれオーストラリア代表チーム入りをしたり、MLBやNPBなどのリーグでプレーしたりできるように。また、オリックス・バファローズやテキサス・レンジャーズといった提携球団との関係を進めることも一つの責務です。そのうえで、シーズンが終わるときに勝てればいいと思っています。
――提携球団からも、完成された選手ではなく育成中の選手が派遣されてきます。そのなかで勝利を目指さなければいけないわけですね。
そうです。でも、そうした選手を育成しながら勝てばいい。例えば2019年、オリックスは宗佑磨選手をメルボルンに派遣しました。宗は当時外野手でしたが、メルボルンで三塁を守って活躍し、日本に戻ってから正三塁手としてレギュラーを取っています。そうした将来性のある選手と一緒に戦えるのは、私たちにとっても非常に嬉しいことですよ。
――ABLの監督のやりがいはなんですか?
やはり育成の面でのやりがいが大きいかな。メルボルン・エイシズを勝利に導く情熱も、私のなかで大きいけれど。でも同時に日々、選手を育成し、コーチを育成することに大きなやりがいを感じていますね。
――ディーブル監督はオーストラリアの野球に関わって、20年近くになりますよね。オーストラリアの野球自体はどう変わってきていますか?
アテネ五輪で銀メダルを取ってから、少し落ちてきていますね。世界のスポーツということで見ても野球自体、サッカーよりも下の位置づけになっています。特にオーストラリアでは、野球は人気スポーツではないので、余計難しいですよね。銀メダルのあと、アメリカの大学に留学をする選手も大勢いたのですが、今は当時のようにアメリカのプロとしてプレーする選手がたくさんいるわけではありません。だから私たちはより多くの選手を育成し、なんとかアメリカのチームと契約ができるようにしたいんです。日本のNPBと契約できるような選手も、ぜひ育てたいですね。
オリックスの選手は皆、素晴らしい
――さて、今年メルボルンに参加しているオリックスの選手たちについてはいかがですか?
4人とも本当にいい子たちですね。彼らのパフォーマンスも、とても素晴らしいと思います。彼らと一緒にここで野球ができて、嬉しいですよ。ここで見せているパフォーマンスを、日本に戻っての飛躍につなげてほしいと思います。今年は福永(奨)がキャッチャーとして参加して、ピッチャーとのコミュニケーションが難しいなか、よく頑張ってくれています。肩も強くて、頼もしいですね。
――第2ラウンドまでバッティングで少し当たりが出ていなくて、第3ラウンド前には頑張って居残り練習もしていましたね。
彼はキャッチャーだから、守備のスペシャリストでいてくれればいいんですよ。打つほうは気にせず、投手陣を引っ張って、球を捕り、走者を仕留めてくれればいい。そこは実際、よくやってくれています。
――杉澤(龍)選手に関してはいかがでしょう?
いい選手ですね。素晴らしい外野手で、走塁にも長けています。もっとバットのほうで当たりが出てくれることに越したことはないけれども。でも今も強く打った、いい当たりを捕られている感じですね。アンラッキーな面もあると思います。
――ピッチャー2人もリリーフで頑張っていますね。
横山(楓)はクローザーとして、素晴らしい力を持っています。速球、スプリット、ブレーキング・ボール、すべていいですね。それから彼の大きな武器は、球の出どころが見づらいこと。あのバックスイングの短いフォームは、非常に優れた“deception”(人を欺くこと、策略、錯覚といった意味)だと思います。
前(佑囲斗)も速球の動きがいいし、スプリット、スライダーもいい。2人とも、本当にいいものを持っているので、残り3ラウンド、楽しみにしています。
Jon Deeble●1962年生まれ、オーストラリア・メルボルン出身。左投右打。旧ABL時代のメルボルン・モナークスで投手として活躍し、1988年のソウル五輪にも出場。現役引退後はアメリカでマイナーリーグの監督を歴任。ボストン・レッドソックスの環太平洋スカウト歴15年、現在はロサンゼルス・ドジャースの環太平洋スカウト・ディレクターを務める。オーストラリア代表監督としては五輪2回(2000年、04年=銀メダル)、WBCで4大会連続(06年~17年)、チームを率いた。