第91回都市対抗野球大会優勝!!田村圭裕投手(Honda/Adelaide)インタビュー

フォア・ザ・チームのサイドスロー転向。
今年も左キラーは健在!

第91回都市対抗野球大会で好投した田村投手(写真はHonda硬式野球部提供)

2018年12月中旬から年をまたいだ1月中旬まで、ABLアデレード・バイト(=当時。現ジャイアンツ)の一員としてプレーした田村投手。帰国後もHondaの貴重な左腕として、社会人球界で活躍を続けています。20年12月、そのHondaが都市対抗野球大会で見事11年ぶり3回目の優勝を決めました。オフ明け、新シーズンに臨む田村投手に都市対抗優勝のこと、ABLの思い出を聞きました。

 

都市対抗1カ月半前の決断

――都市対抗では1回戦(大阪ガス)と準決勝(セガサミー)に登板。共に得点圏にランナーを置いて、見事なワンポイント火消しを見せました。その都市対抗を振り返ると?

「日本選手権には投げたことがあったんですが、都市対抗は初めて。嬉しさと緊張と、プレッシャーもありました。これまでは、どちらかといえば“長いイニングを投げてくれ”ということで、ああいうピンチでの起用はあまりなかったんですよ」

――今回の都市対抗は、ああいう緊迫した場面の“ワンポイントでいく”と?

「はい。実は10月5日に南関東大会が終わってから、左バッター対策で投げ方を変えたんです。オーバースローから、サイドスローに近い形に、腕の角度を少し下げました」

――そんな直前に(都市対抗は11月22日開幕)?

「僕も監督とコーチに呼ばれて、そう言われたときはビックリしました(笑)。やれるかどうか、最初は不安もあって迷いましたよ。でも今のチーム状況を考えて、少しでも戦力になれればいいなと思い、挑戦してみました。結果としては、ちょっとできすぎというか……うまくいきすぎですが(笑)」

――投げ方を変えて、最も変わった部分はなんでしょう?

「バッターを抑えるには、低めに投げることが大前提。腕をタテに振って投げるより、地面に平行に近いサイドスローで投げたほうが、高さのブレがなくなって高めには浮きにくいな、という実感はありました」

――サイドでハマったということは、体の使い方、腰の回転などもうまくできたということでしょうか。

「実際、フォームの心配をしている時間がなかったというか、キレイなフォームで投げられているかはちょっとわからないんですが、自分が想像していたよりコントロールはまとまっていたと思います。始めたばかりで球種が少ないので、最低限ストライクゾーンに投げないと勝負になりませんから」

――フォーム変更の苦労もあったからこそ、自分の仕事をきちんとしての優勝は、喜びも尚更だったのではないですか?

「サイドにすると、右バッターからはどうしても球の軌道が見やすくなるんですよ。でも“左バッターだけ抑えてくれればいいよ”と言われて始めたので、必要な場面で結果的に抑えられたのはよかったです」

 

広い視野で野球をとらえて……

――今後もずっとサイドスローで、こうした中継ぎの役割を担うことになるのでしょうか。

「今年に入って監督、コーチと話もしましたが、中継ぎ投手の大切さは、僕も去年の都市対抗で身をもって感じました。投手が先発完投できるような試合はそうありません。中継ぎが試合の勝敗を決める重要な役割であるのは間違いないので、今年も同じ投げ方、同じポジションでやっていきたいと思います」

――今まで以上に、「フォア・ザ・チーム」の思いが強まったんですね。

「キャプテンの福島(由登)さんが毎試合前、口酸っぱく言っていたのが“ベンチに入っているピッチャー全員で27個アウトを取るまでやっていこう”ということ。それは常に、頭の中にありました」

――新しい自分が見つかったような部分もありますか?

「去年サイドに転向する話をいただいたとき、自分のこの先の野球人生を考えてみても、今までずっとオーバースローで投げてきたのとは違った視点で野球を見られるぞ、と。より広い視野で野球をとらえるためにも、チャレンジしていいんじゃないかと言っていただきました。“新しい自分”といえるかどうかは分かりませんが、そのいい機会になったかなとは思います」

ABLでの田村投手。Game 1, Round 6 clash between the Perth Heat V Adelaide Bite at the Perth Harley-Davidson Ballpark on the 28th December 2018. . Photo: James Worsfold SMP Images / ABL Media.

――さて、ABLアデレード・バイト(=当時。現ジャイアンツ)でプレーしてから、もう2年になりますね。当時の思い出を教えてください。

「文化が違えば野球も違う、というところが一番ですね。例えばバッターがバットを出す軌道一つとっても違うので、あの舞台での経験が日本に戻ってきて100%生きたかといえば、技術的にはわかりません。だけど精神的な部分でいえば、良くも悪くも皆、楽天的というか。ミスをしても落ち込まないんですよ。リリーフで待機している身になってみると、一瞬で気持ちを切り替えなければいけないので、そういうところは見習うべきだなと思いました」

――野球以外ではいかがですか?

「慣れない環境で、終日休みだった日もほとんどなく、どこかこれといった場所に出かけることはなかったんですが、みんなでご飯を食べに行ったのは楽しかったですね」

――田村投手が今後野球をやっていくうえで、個人的に目指していくところはどこですか?

「野球をやっている以上、プロになりたいという気持ちはあります。ただ年齢的にはもう厳しいかな、と。だから、どちらかというと個人の将来のビジョンよりは、チームが勝つことを第一に考えています。前のピッチャーが作ったピンチの場面とか、試合の中盤から終盤にかけての重要な局面でマウンドに上がる役割を担うことですね。僕ももう投手陣の中で、上から二番目のトシになるので。そういうプレッシャーのかかる場面ではやはりベテラン、中堅の力が必要だと思いますから、そこでしっかりした姿を下の選手たちに見せたいです」

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