☆藤澤琢朗投手(現クーフシュタイン・バイキングス)インタビュー☆開幕2日前のGK戦力外通告。でも、そのおかげでオーストラリアという国も人も大好きになれました

オーストラリアのクラブチーム、ウェルビー・ジャイアンツでの藤澤投手(写真は本人提供)

背番号「0」と「TAKURO」の文字が背中に入ったジーロング・コリアのユニフォームを藤澤投手がインスタグラムにアップしたのは、22年ABL開幕4日前のことだった。ところがそのわずか2日後、まさかの戦力外通告。すべて自力で手繰り寄せたABLでのプレーの機会だっただけに、失望感は計り知れない。だが、そこで諦めなかったからこそ、彼がオーストラリアで掴んだものは大きかったのだ。

 

一時はどうなるかと思った、メルボルン生活

 

――藤澤投手がABLに興味を持ったきっかけから教えてください。

もともとオーストラリアという国自体に少し興味があって、「行ってみたいなあ」と思っていました。2022年1月、1カ月ほど米国カリフォルニアのウインターリーグに参加。帰国したときには野球を続けるかどうか迷っていて、一度就職も決めました。ところがそのとき、たまたまツイッターで「(新型コロナの影響で中止になっていた)ABLが再開する」ことを知りました。それで興味を持って、ABLの全チームについて調べたところから始まりました。

――そして実際、ABLのチームにコンタクトを取った?

全8チームにインスタグラムのDM経由で、メッセージと球種別の動画を送りました。返事をもらったのはそのうち2チームで、最終的にジーロング・コリアと契約することになりました。

――ところが開幕2日前に突然リリースを申し渡されてしまった、ということでしたね。

契約書にサインをして監督に会い、紅白戦で投げてユニフォームも受け取り、2日後に開幕戦、というところまで来ていたんですよ。その日も練習で投げ、夕食を取って部屋に戻ったら、チームスタッフに呼び出されました。部屋に入ると目の前にGMが座っていて、なんだかよくない雰囲気が漂っていました。GMの韓国語を英語に訳してもらいながら話を聞いて……僕は英語がそんなにできないけれども、「明後日(開幕戦)は来なくていい」と言っているのは分かりました。「どういうことですか?」と翻訳機を使いながら確かめると、「クビ」とのこと。そこで「練習生でもなんでもいいから、チームに置いてほしい」と粘ったんですが、「枠がないから」の一点張りでした。おまけに、それまで滞在させてもらっていたホテルも開幕までに出なければならなくなって……。

――それは、いきなり大変なことになりましたね。そこから新しいチームを見つけてメルボルンで生活を安定させるまでは?

メルボルンに来て知り合った方に相談し、ひとまず滞在先が決まるまで、居候させてもらいました。ABL以外で野球をすることは当初全く考えていなかったし、ネットを見てもクラブチームの情報が思うように出てこない。そこでツイッターに「ジーロングから戦力外通告されました。オーストラリアの野球に詳しい方、プレーしていらっしゃる方、お力を貸してください」と投稿したところ、現地在住の日本人の方がDMで「(自分の参加している)クラブチームの練習があるから来ませんか?」と誘ってくれたんです。

――メルボルンのあるヴィクトリア州野球連盟(Baseball Victoria)に所属するクラブチームですね。

1部リーグのチームでした。そこで、メジャー・リーグのスカウトもしているという監督、コーチがピッチングを見てくれたんですが、そのチームはすでにインポート(外国人選手)の枠が埋まっていて、僕を獲ることはできませんでした。でも僕の話を聞いて、「それはジーロングのやり方がよくない。かわいそうだ」と言って、1部リーグのチームすべてに話をしてくれたんです。ただ、クラブチームは10月からシーズンが始まっていたので、やはりどこもインポートの枠は埋まっていました。そうしたなかで知り合ったオーストラリア人が、同様に僕の置かれた状況を気の毒に思ってくれて、「俺がチームを探してやる」と。彼は以前、アメリカのマイナーでプレーしていた人で、いろいろ手を尽くしてもらったなか、「自分が前にコーチをしていたウェルビー・ジャイアンツというチームなら入れるけどどうだ」と紹介してくれました。

――そこはどんなチームだったんですか?

2部リーグ12チーム中、下位のほうのチームでした。正直、「1部がいいな……」と悩みましたが、車を用意してくれるなど待遇面がよかったこともあり、お世話になることに決めました。

――2部のチームでもインポートの選手がいるんですね。

ほとんどのチームにいると思います。チームによって違いますが、やはりアメリカ人が多いですね。

――クラブチームで投げた印象はいかがでしたか?

2部の場合、上位4、5チームとそれ以外のチームでは大きな力の差、レベルの差があるように感じました。上位チームのバッターは、個々で見るとバッティングも非常にいいですよ。打撃技術はそこまでではないんですが、やはり力があって、当たると飛びます。僕はフィッツロイの四番バッターに、2打席連続ホームランを打たれました。速球はもちろん、変化球でも少し真ん中に入るとしっかりアジャストしてきて、長打にならなくてもとんでもなくスピードの速いピッチャーライナーを打たれます。それで僕、何度か死にかけました(笑)。ピッチャーは、僕が対戦したなかではそんなに打てないピッチャーはいなかったと思います。打てるかどうかは別として(笑)。

――打席に立ったんですか?

クラブチームはABLと違ってDHなしなんですよ。それに毎試合ではないけれども、ショートを守った試合もありました。

――1部のクラブチームの選手には、成績を出してABLに上がるモチベーションがあると思いますが、2部の選手たちの目指すところはどこだと感じましたか?

2部の上位チームは、チームとして「1部に上がる」モチベーションがあると思います。練習を見ていても、みんなやる気にあふれていました。でも僕が参加したチームなどは、お遊びといったら言い過ぎかもしれませんが、「野球を楽しむ」ことが第一という感じでしたね。練習よりも、そのあとのビールやおしゃべりのほうが楽しそうでした。

――藤澤投手はどのポジションで、どのくらい投げたんですか?

先発、中継ぎ兼任でした。シーズン途中に合流して以降、1試合を除くすべての試合に投げました。毎週日曜日が試合なんですが、13試合に投げています。終盤戦で結構打たれて、成績は2勝7敗1S、防御率6.26。「こんなに負けたっけ」と自分でも思うくらいの成績でした(苦笑)。

――藤澤投手の場合、クラブチームに所属しての生活費はどのくらい必要でしたか?

僕の場合は3食付きのホームステイで、車も貸与。その部分の生活費は、チームが持ってくれました。ただ、トレーニングジムは自分で契約して、費用も自己負担していました。なのでチームメイトの職場で週2回、1日7時間半ほどアルバイトをさせてもらっていました。オーストラリアのクラブチームはたいていスポンサーが付いていて、それがチームの資金力を左右するようです。ホームステイならチームが家賃を負担してくれますが、食事をどうするかはその家によってバラバラです。車まで貸してくれるのは珍しいと思うので、僕の待遇は恵まれていたほうだったのではないでしょうか。

――そんなオーストラリア生活で、藤澤投手のプラスになったことはなんですか?

初めはABLで投げることを目標に渡豪したので、その目標は叶いませんでしたが、結果的にはよかったのかなと今は思っています。(ジーロングを)クビにならなければ出会えなかった人たちと知り合えて、オーストラリア人の人柄を知ることができました。クラブチームに参加することでオーストラリアの野球事情も分かったし、海外でアルバイトをする経験もできました。一時はどうなるかと思いましたが、とんでもない人生経験ができましたよね。オーストラリア人の人の好さ、温かさ、心の広さに触れて、オーストラリアが大好きになりました。「言葉が分からなくてもなんとかなるんだな」と思ったのも一つですが、おかげで英語もある程度理解できるようになりました。

 

自分が最も必要とされていると感じたチームへ

 

――そして今、藤澤投手はなんと、ヨーロッパ・オーストリアにいらっしゃるんですね!

今はオーストリアン・ベースボール・リーグ2部のクーフシュタイン・バイキングスというチームに所属しています。当初、「選手だけでなく、ジュニアチーム(14歳以下)のコーチも兼任してほしい」という話だったのですが、ジュニアチームはすでにコーチが2人いて、僕はアシスタントコーチの形に。加えて、突然「トップチームのコーチをしてほしい」と言われて、選手兼任コーチになってしまいました。

現在は、オーストリアで選手兼任コーチを務める(写真は本人提供)

――そのオーストリア行きは、どのようにして決まったのですか?

オーストラリアにいたとき、友人が「ベースボール・ジョブズ・オーバーシーズ」という、海外野球のチーム探しのサイトを紹介してくれたんです。1月終わりごろ、そこに自分のプロフィールを登録したところ、3チームからオファーが来ました。うち2つはオーストリア、1つはポーランドのチーム。条件面も比較要素でしたが、何より「自分に何を求めているのか」が大切だなと思いました。その答えを受けて、自分が最も必要とされていると感じたバイキングスに決めました。

――どんな点で、「自分を必要としている」と感じたのでしょうか。

バイキングスは、10年ほど前まで1部リーグのチームだったそうです。「本気で1部に上がりたいので、力を貸してほしい」と言われました。もう一つのオーストリアのチームは1部でしたが、給料の面で少し厳しかったのと、タイミングが合わなかったこともあって契約に至りませんでした。

――今はどんな生活をしているんですか?

キッチン、トイレ、バスルーム共有のシェアハウスに、男女5人で住んでいます。ほかの5人はチームメイトではなく、職業も母国もいろいろです。部屋代はチーム持ちで、自転車を借りています。ホームグラウンドは自転車で20分ほどの場所。試合は毎週ではなく不定期で、土日のどちらかに7イニング制のダブルヘッダーを行います。月曜が休みで、火曜、木曜は自分のチームの練習。水曜と金曜はジュニアチームの練習日になっています。週末に自分の試合がないときは、ジュニアチームの試合に同行します。

――遠征もあるわけですよね?

4月末の開幕戦は、遠征試合でした。バンと車の2台に分乗して、250㌔ほど離れた町まで行きました。

――藤澤投手はどんな形で投げているんですか?

ダブルヘッダーの1試合目はインポートの選手が登板できないルールになっているので、開幕戦は「一番・サード」で出場しました。1試合目が終わって30分程度空けて、第2試合。今度は「一番・ピッチャー」で、7イニングながら久しぶりに完投しました。

――オーストリア野球のレベルはどう感じましたか?

想像していたよりも低かったです。日本でいうなら、都市対抗1次予選の1回戦で負けてしまう社会人クラブチームぐらいの感じでしょうか。もちろん中にはいい選手もちらほら、いるんですが。

――オーストリアの選手たちは、やはりアメリカでプレーすることが目標なのでしょうか。

僕の所属しているチームの選手は、半分趣味みたいな感じだと思います。学生も社会人もいますが、練習にはいつも5、6人しか来ません。おそらくプライベートを優先しているんでしょうね。ただ1人、若い選手で僕にもグイグイ絡んでくる子がいて、彼は「俺は野球のために酒もタバコもやらないんだ」と意気込んでいます。

――藤澤投手自身は、オーストリアで何を得て帰りたいと思っていますか?

コーチをするのは初めてなので、言葉が通じないなりの教え方を考え、経験できるいいチャンスだと思っています。それから、オーストラリアでは思ったような成績を残せなかったので、ここで成績を出して、来季はより高いレベルのリーグからオファーをもらえるようにしたいですね。

――ところでオーストリアはドイツ語圏ですよね。どうやってコミュニケーションをとっているんですか?

チームのみんなが英語を話せるので、お互い第二外国語の英語でやり取りしています。そこは、オーストラリアで約半年過ごしてなんとか英語を聞き取り、返せるようになっていたのが大きいですね。ドイツ語のクセがかなり強くて分からないことも多いんですが、10月までの滞在期間で、英語力がどこまでつくかも楽しみであり、頑張らなくてはと思っています。

――これからはどんなところを目指していくつもりですか?

海外でプロを目指す野球は、そう遠くない時期に終わりが来ると思っています。その先の自分のキャリアについてもやりたいこと、挑戦してみたいことがあるので、今は何が最善なのか考えながら日々、過ごしています。

――今年こそ、ABLで藤澤投手のピッチングを見られるよう期待していますけれども……。

可能性が少しでもあれば、また挑戦したいと思っています。前回の挑戦では契約できただけで試合に出場することはできなかったので、そこの苦しさはあります。そのため、クーフシュタイン・バイキングスで成績を残して再挑戦できるよう、今シーズンを過ごしていきたいと考えています。

 

profile

ふじさわ・たくろう●1997年10月15日、神奈川県出身。右投右打。179cm83kg。柏木学園高-横浜中央クラブー堺シュライクスーアルバータ・グリズリー(カリフォルニア・ウインターリーグ)-エスプライド鉄腕硬式野球部-ジーロング・コリアークーフシュタイン・バイキングス。

あわせて読みたい