道原順也投手(オークランド/高知FD)インタビュー 「ABLで“自分の武器”を持つことができたのは大きかった」
国立高知大3年時、秋のリーグ戦で最優秀防御率のタイトルを獲得。大学卒業を前に、プロ志望届を提出したが、夢は叶わなかった。2019年、四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスに入団。1シーズンを戦い、まだまだ自分には、大きな夢を実現するための“武器”がないことに気付いた。そんな中、ABLオークランド・トゥアタラと巡り合った道原投手は入団の確約もないまま、ニュージーランドへ飛んだ。そのひたむきな思いと、前向きな姿勢が行きついた先は――。
●クラブチームからのスタート
――2019/20シーズン、オークランド・トゥアタラに入団した経緯から教えてください。
以前から「機会があればウインターリーグに参加してみたいな」と思っていたんです。昨年(19年)7月、四国アイランドリーグの北米遠征に参加して、「海外の野球もいいな」と改めて感じ、18/19シーズン、オークランドに所属していた金子隆浩さん(当時、高知=現琉球ブルーオーシャンズ)に話を聞きました。そこで金子さんに「じゃあオークランドに行ってみたら?」と背中を押されて、行くことになりました。
――そのあとは、どんな手続きを踏んだのですか?
金子さんにオークランドのチームスタッフに話を通していただきました。それで、チームから「ピッチングの動画をこっちに送って、ひとまずオークランドに来てくれ」と言われまして……。
――ではニュージーランドに行った時点では、まだオークランドの一員としてプレーできるか、分からない状態だった?
はい、とりあえず行ってみようと思いました。本当は、僕がコンタクトを取る前にトライアウトがあったんです。ところが、ちょうど宮崎のフェニックスリーグに参加していて、それには間に合わなかった。なので、ちょっとイレギュラーな形になりました。
――オークランドに合流して、すぐ実際ピッチングを見てもらえたのですか?
見てもらえたんですが、その時点である程度ロースター入りが固まっていたので、地元のクラブチーム(アマチュア)で投げながら、チャンスを待つことになりました。開幕から2週間ほど経ったところで、「もう(オークランド入団は)ダメっぽいから帰ろうかな」と思っていたら、少しずつクビになる選手が出始めたんです。そこで「今度、紅白戦があるから参加しろ」と言われて投げたら、思ったよりいい結果が出まして。滞在を伸ばして契約、ということになりました。
――オークランドへの昇格は、クラブチームで結果を出したことはもちろんですが、どこが認められたと聞いていますか?
オークランドは、僕に「勝負できる武器があるか」を見ていたと思います。というのも、最初自分のピッチングを向こうのコーチに見てもらったとき、日本でもともと投げていたスライダーとチェンジアップは「使い物にならないから、もう投げなくていい」と言われたんですよ。4シーム回転で、ちょっと浮き上がるように見えるストレートとスプリット。それを使って「タテの変化で勝負しろ」とアドバイスをもらいました。
――そこでピッチングを切り替え、自分を変えることができたのはすごいですね。
初め、そう言われたときはビックリしました。元福岡ソフトバンクのD.J.カラスコというピッチングコーチと、アナリストの2人に「手首の角度がよくない」とか、いろいろ言われ、ダメ出しされました。でも僕が昨年、独立リーグ1年目で投げ始めたばかりのスプリットのほうは評価してもらえたんです。それはうれしかったですね。
●失敗は成功のもと
――初めの2試合はリリーフ(12月14日のブリスベン戦で2回、22日のシドニー戦で2/3回を無失点に抑え)、28日のアデレード戦で初先発のマウンドに上がりました。こうした起用法については、コーチからどんな話が出ていたのですか?
もともと入団の時点で、「お前はどこで投げられる?」と聞かれたとき、「先発、中継ぎ、抑え全部できます」と答えていました。それで、抑えに始まりショートイニング、そして「先発もできそうだから、来週から先発な」という流れになりました。
――3試合に先発後は、また2試合リリーフに戻りましたね(※各試合の成績はhttps://aucklandtuatara.com/player/junya-michihara-692972参照)。
最後は、「先発も中継ぎもできるんだから、ロングリリーフで行くか」ということになりました。先発のコマがまた揃った、チーム事情的なところもありまして。
――どこも道原投手なりに適応できましたか?
はい。ただ、(1月10日の)シドニー戦で先発してボコボコにされた(1回2/3、被安打5、自責点6)のは、よくなかったですね。ABLに行ってから調子のよかったコントロールが乱れ、四球を4つも出してしまいました。また、シドニーの各打者にいろいろ研究された部分もあったと思います。
――ベストピッチはどの試合でしたか?
プレーオフのメルボルン戦にリリーフして、3回を2安打無得点(4奪三振)に抑えた試合は良かったと思います。あとは、ABL初登板のブリスベン戦も良かったかなあ……。いいときと悪いときが結構はっきりしていましたね。キャンベラ戦(1月18日)で2回途中からロングリリーフしたときも、6回1/3で5安打3失点はしましたが、なんだか手応えを感じました。思えば何か掴んでは次の試合でやられて、「どうなんだろう」と考えて、の繰り返しだった気がします。
――例えば自分の中でどんなふうに改善していきましたか?
先発になってからスライダーを使っていたのですが、シドニーでスライダーを打たれて、「なんでスライダーを投げたら打たれるんだろう?」と考え、そこで「こういうふうにしたらいいんじゃない?」とアドバイスをもらって、キャンベラではよくなったんです。ところが最後のブリスベン戦では、スライダーはよかったけどストレートを打たれてしまった。それで、「なんでストレートを打たれたんだろう」とまた考え、ポストシーズンでは「あ、ストレートもこれだけ投げられるんだな」という感じになりました。
――試合のたびに出てきた課題を、翌週の試合までに克服していけたんですね。
自分なりに、成長はできたと思います。ただ、それでもまだやり残したことはたくさんあります。当初、向こうでカーブを習得しようと思っていたのが結局未完成のままだし、チェンジアップをもっと精度よく投げられるように、と思っていたのに最後までできなかった。課題を残して帰ってきました。
●脱・スキニー&スモール
――生活面は、いかがでしたか? オークランドでは他の日本人選手と同じ、大学寮?
いえ、僕は金子さんの知り合いの方経由でホームステイ先を探してもらって、ずっとそこにいました。僕と同じようにオークランド入りを目指していたアメリカ人2人と、ハウスシェアしての生活でした。
――食事は自分たちで作ったんですか?
買い物も食事も、一緒にしていました。でもその2人がベジタリアンだかビーガンだかで、肉を一切食べなかったので、戸惑いました。「お前もやってみるか?」と言われましたけど、「いや、俺はガリガリやから、肉食うわ」って。味はメチャクチャでしたが、とりあえずなんでも食べるようにしていました。
――その代わり、野菜はいっぱい摂れたでしょう(笑)。
はい、でも彼らの主食ってサツマイモみたいな甘いイモなんですよ。初めは「大丈夫か?」と思いましたけど(笑)。
――英語は上達しましたか?
僕、中学生のころから何度か海外に一人でホームステイしに行っていたので、もともとしゃべれることはしゃべれたんです。でも今回3カ月で、かなり上達しました。
――割とみなさん、「海外でやってみたい」と思う中には、野球プラス語学というのが入ってきますが、道原投手の場合はちょっと違ったんですね。
僕は海外でトレーニングを学んでみたかったんです。冬の間、独立リーグの選手の多くはアルバイトがメインになると聞いていて、それはちょっともったいないので、どうせならその期間、海外でやってみようと思いました。
――トレーニングの面で、道原投手の身になったこと、あるいは何か気付きを得られた部分はありますか?
アメリカから来たマイナーリーグの選手たちも、ニュージーランド人の選手たちも、ジムでしっかりトレーニングをして体を作るのが基本で、それを練習に持ち込む。日本は逆で、全体練習をして、それを補う形でジムに行きます。向こうでは体作りが基本中の基本、という感覚で、その違いはありました。
――それは、どっちがいいとかではなく、「こういうやり方もあるんだな」と捉えている?
僕にとっては、向こう(ABLの選手たち)のやり方がいいのかなと思いました。僕は日本でまあまあ普通の体格(182cm、82kg)なんですが、ABLの選手の中に入ると、「スキニー(痩せている)でスモール(小さい)」と結構言われていたんです。自分でも「このままじゃ勝てないな」と感じたので、まずABLで戦える体作りを真剣にやろう、と思いました。
――体があって初めて、力のある球が投げられるというか。おそらく上下のバランスも大切なんでしょうね。
もちろん全身鍛えるんですが、特に足のほうをしっかりやろうと思いました。アメリカのマイナーでやっている選手たちは自分でトレーニングについて調べて勉強し、下半身からストイックなまでに鍛えていました。ウワサに聞いたよりもトレーニング方法や考え方が進んでいましたし、ピッチャーなら、それをきちんとピッチングにもつなげていましたね。
●個性を生かし、次のステップへ
――他の選手たちと野球の話をすることも多かったですか?
日本人投手の先輩方だけでなく、元メジャーの選手、マイナーの選手など、いろんな選手に話を聞きました。向こうでは投げ方を聞いても、「それはお前の個性だから、別に気にするな」という感じのところがあって、なかなか聞き出すのが難しいんです。でも積極的に話しかけて、「コイツ、質問してくるヤツなんだな」と思わせたら、結構向こうからちょっと気付いたことを教えてくれるのが分かりました。
――例えば元メジャーリーガーのジョシュ・コルメンター投手には、どんなことを聞きましたか?
コルメンターには本当にいろいろ、教わりましたよ。「カーブの投げ方を教えてくれ」と言って、握り方から、投げ方のタイミングみたいなところまで教わりましたし。あと、コルメンターはアメリカで『トマホーク』というニックネームがあるほど、真上から投げ下ろす投球フォームなんです。それが僕の目指しているスタイルに近いので、そのあたりの話も聞きました。
――今後、ABLで学んだものを日本でどう生かしてきたいですか。
ABLでやった結果、“自分の武器”を持つことができたと思っています。だから今度はそこで得たスキルを、日本できちんと出していきたいです。海外の選手がよく言うんです。「日本人の投げ方って、みんな一緒だね」と。足の上げ方まで似ていて、バリエーションが少なく見えるそうです。何かそういうところでも、一つ人と違うことができたらいいな、と感じました。
――確かにABLのマウンドに日本人投手が立っていると、遠目に見ても分かりますね。
海外では、例えばリリーフだったら「前のピッチャーと全然違うピッチャーが交代で出ないと、代わった意味がない」という。そう考えると、自分は海外でも通用するタテの変化を今回覚えることができて、人とは違った武器になるんじゃないかなと思います。
――この先、道原投手の目指すところは?
この経験を生かして、まずは四国アイランドリーグでアピールすること。そしてNPBにドラフト指名されることが一番ではあります。でも一方で、アメリカでやってみたいという気持ちも徐々に強くなってきていて……。日本だけじゃない、視野を広くもって、上を目指していきたいです。